Poland・Krakow ポーランド・クラクフ 、アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ。
アウシュヴィッツ第一強制収容所から車で10分程のビルケナウで中谷さんの案内が続きます。見学時間は12:40から13:30までの1時間弱でした。
アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウの象徴としてよく見られる、強制収容所内まで延びる3本の鉄道引込み線。
映画『シンドラーのリスト』の撮影でも使われたところです。
「この門を入るとお前たちの出口は煙突だけだ」と言われた、鉄道引込線の入り口の「死の門」。
線路上に止めてあるのは、1914年製造の牛運搬用貨車、通称「ユーデルランペ」。
劣悪な環境の貨車で連行された人々は連行途中で亡くなることも多かったそうです。『シンドラーのリスト』でも、シンドラーが貨車に乗る人々にホースで水をかけてあげるシーンがあります。
いく日も貨物車両に閉じ込められていたユダヤ民老若男女が引き出され、「死の門」から400mの地点で、軍医が彼らを左右に振り分けて選別し、約25%の人々が労働力として選ばれました。
残りの人々は貨車を降りてから、さらに400m林の方へ歩かされ、「消毒室へ」の看板を目にしながら建物の地下へ誘導されました。
その林のあたりが現在慰霊碑が立っている鉄道引込線の突き当りです。この慰霊碑の立っている左側にガス室がありました。
「死の門」から慰霊碑まではかなり距離があります。
イスラエルからは毎年沢山の人がやってくるそうで、ここに座って厳かな表情で話を聞いている人たちがたくさんいました。
慰霊碑の方からを振り返っても「死の門」はかなり遠くに見えます。
「選別」されてから400m、人々はどんな思いでこの道を歩いたのか想像すると、胸が苦しくなります。
東京ドーム約37個分の広大なアウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ。
大きなバラック小屋が整然と並んでいるのを見ると、有棘鉄線に囲まれていなければ、一見牧場か何かのようです。
草地に沈み込みそうな佇まいですが、このあたりは湿地で、満足な基礎工事もなく建てられ、特に粗末な作りだったそうです。
たくさんの煙突がある厨房棟。
多数あったバラックは解体され、
残っているのは、
バラックの暖炉跡のみ。
残存するバラック小屋も、
湿地の上に立っているのがやっとなのか、
支えが必要になっています。
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