大平原トラベルツアーの続き。
高級ブランドが立ち並ぶアンドラーシ通りの突き当りにある英雄広場。
大天使ガブリエルの両側にそれぞれ7人の英雄。
いちばん左はイシュトバーン1世。
クリスティーナさんはそれだけ言って、「あとは写真をとって15分後にここに戻って来て下さい」と言ってどこかに行ってしまいました。この時、「他はどんな人ですか」と聞きましたが、「偉い人たちです」と真顔で言われて本当にびっくりしました。
横では、グループツアーのガイドがひとりひとりの英雄を事細かに説明しているのを聞いてすごく残念な気持ちになり先が思いやられましたが、その予感は的中しました・泣。
以下自習・笑。
建設当時のハンガリーは、オーストリア=ハンガリー帝国だったので、九部族の英雄の像と5つのハプスグルグ朝の人々の像を作っていたが、第二次世界大戦後はハンガリーの人の像になった。
真正面に据えられた騎馬像は、マジャル民族の部族長の一人であるアルパード。896年に他の6人の部族長たちをとりまとめた彼の曾孫が初代ハンガリー国王となったイシュトヴァーンである。
大天使ガブリエルは右手にハンガリーの王冠を、左手に二重の十字架を掲げている。
西暦1000年のクリスマスの日にガブリエルがローマ法王ジルベステル二世の前に現れ、ハンガリー王のイシュトヴァーンをキリスト教国の王として認めるようにと告げたため、ローマ法王はハンガリー王国をキリスト教国として認めた。二重十字架は、イシュトヴァーンがハンガリー国王として政治を司ること、同時にキリスト教布教の聖職者の役割も果たすことを意味している。
英雄広場の背後に広がる市民公園は、1896年に開かれた博覧会会場として建設された跡地で、大きな池や城がある市民の憩いの場。
英雄広場の背後に広がるのは、1896年に開かれた博覧会会場として建設された跡地で、大きな池がある市民公園。そこにあるのは、かつてハンガリー領だったルーマニアのヴァイダフニャド城をモデルにしている城。城を建てたのはハンガリーの英雄のひとりであるフニャディ・ヤーノシュ侯。
ここも、クリスティーナさんは、「お城も見て下さい」と言うのみだったので、見逃しました・泣。勉強不足と言われればそれまでですが、そのためにガイドを付けているわけで、思い出すと本当に悲しくなります。
今日もうさぎの日記を読んで下さってありがとうございます。
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