(23) 2017/8 Poland・Krakow ポーランド・クラクフ 8/30 ( Tue ) 『シンドラーのリスト』のロケ地を訪ねて ゲットー地区 ♪

 

ヴィスワ川を渡ってゲットーのあったポドグージェ地区に行きます。

ポーランド総督に任命されたハンス・フランクは大の反ユダヤ主義者であり、自分のお膝元であるクラクフから出来る限りユダヤ人を追い出したがっていました。1940年4月12日にフランクは「ユダヤ人はこの町から放逐しなければならない」と宣言し、技能などがあり労働力になるユダヤ人以外はクラクフから追放されることになりました。

クラクフに残る許可を得たユダヤ人は、伝統的なユダヤ人居住区のカジミェシュ地区のヴィスワ川対岸にあったポドグージェ地区に作られたユダヤ人隔離地区に押し込まれて隔離され、ここには1941年3月に正式にクラクフ・ゲットーの名が冠されました。

ズゴダ広場は、ゲットーへの移住を命じられたユダヤ人をゲットーからアウシュビッツなどの強制収容所に運ぶための待合場所となり、収容所行きを拒否する人は容赦なく射殺されました。ズゴダ広場は戦後「ゲットーの英雄広場」 と名前を変え、クラクフ・ゲットーで亡くなった方の弔いの場となっています。

ゲットーの英雄広場。

 

2005年12月、このゲットーの英雄広場に、イスをモチーフにした新たな追悼モニュメントが開幕されました。ユダヤ人学校の生徒が、一人ひとつずつ教室のイスをもって移動しているシーンを映した当時の有名な記録フィルムにちなんでいるそうです。

イスのオブジェが並んでいます。

 

 

 

 

1941年3月20日にゲットーは封鎖され、以降自由な出入りはできなくなりました。ポドゥグージェ地区にははゲットーになる前まで3,000人が暮らしていましたが、ここに5倍もの15,000人のユダヤ人が押し込まれ、窮屈な暮らしを強いられました。

クラクフ・ゲットーはワルシャワ・ゲットーと並んで閉鎖的なゲットーで周囲は壁で囲まれて外界から完全に隔離されていました。

ゲットーの施設、壁などは、ユダヤ人自身に作業させて、作らせました。壁の形は、高く、かまぼこみたいな半円形の形をしています。
これは、ユダヤ人墓地の形に似せたもので、精神的負担を与える目的があったと言われています。

クラクフ・ポドグジェ地区のルヴォフスカ通りは、このゲットーの壁の一部が再現されています。

少しわかりにくいですが、木の下の壁です。

 

1941年から1943年までここにゲットーがあったことが示されています。

 

 

 

そのゲットーも1943年3月13、14日に解体され、ユダヤ人たちはアウシュビッツやビルケナウなどの強制収容所に送られることになります。

 

『シンドラーのリスト』のシーンに、シンドラーが複雑な表情を浮かべて、馬上で小高い丘の上からゲットー解体を見下ろすシーンがあります。

木の生えているところがその丘のロケ地だそうです。

 

同シーンに、赤い服を着た女の子が歩いているシーンがありますが、その女の子が歩いていた通りがここだったと教えてくれた記憶がありますが、時間が経ってしまったので記憶が定かではありません。

ゲットーの外だそうです。

 

 

シンドラーはここでユダヤ人を雇用し、従業員リスト(実際には働いていない人も含まれていた)、いわゆるシンドラーのリストを作って彼らが絶滅収容所に送られないようにしました。

工場は内部のリフォームを終え「クラクフ歴史博物館」の1つとして公開されました。

博物館では「ナチス占領下のクラクフ 1939~1945」という常設展示があり、狭いゲットーでのユダヤ人のつつましやかな暮らしの再現などを見ることができるそうです。
シンドラー関係だけでなく、占領下のクラクフの社会状況全般がわかる展示となっており、学生の団体も多く見学に訪れるので、狭い通路はかなり混雑しているそうです。

時間がなかったので外観だけだったのが残念です。

シンドラーの工場。

 

 

シンドラーに命を救われた人たち。

 

 

 

『一つの生命(いのち)を救う者が、世界を救える 』。

 

 

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(22) 2017/8 Poland・Krakow ポーランド・クラクフ 8/30 ( Tue ) 『シンドラーのリスト』のロケ地を訪ねて カジミェシュ地区 ♪

Poland・Krakow ポーランド・クラクフ。

『シンドラーのリスト』のロケ地を訪ねたくて、アンナさんにお願いしてタクシーでロケ地を回りました。

時間は16:50から約1時間、タクシー代は50ズロチでした。

 

 

まずはカジミェシュ地区の歴史から。

 

ポーランドでは13世記にユダヤ人の法的地位を保証するカリシュの法令が施行されていました。
中世ヨーロッパ中でユダヤ人迫害が吹き荒れていた頃、ユダヤ人たちは迫害をのがれてユダヤ人の基本的な諸権利が法律で保護されていたポーランド王国へ集まってきました。 1335年 にカジミェシュ3世は ヴィスワ川によって王国の首都クラクフから切り離されていた地域に新しい町を作り、この町カジミェシュ と名付け、次第にユダヤ人が増えていきました。
1494年にクラクフで大火があり街の大半が焼け落ちてしまいましたが、これをユダヤ人のせいにされ、焼け落ちて廃墟となっていたクラクフ旧市街の地区に住むユダヤ人はカジミェシュ地区のバヴウ区を提供へ移住させられました。この時からカジミェシュ、特にカジミェシュの南東地域は完全に「ユダヤ人の町」と化しました。

第二次世界大戦時にここで暮らすほとんどのユダヤ人が強制収容所に連行されてしまい、 その結果カジミエシュは廃墟と化しました。 近年、再び賑わいを取り戻しつつあるカジミエシュは、若者のオシャレスポットとなっていますが、多くのシナゴーグが残っているなど、クラクフのユダヤ文化に触れることができる貴重な場です。

 

たくさんの観光トゥクトゥクみたいな乗り物が走っており、外せない観光地域です。

 

 

 

 

スタラ・シナゴーグ。

ポーランドでは最古の部類に入るため「オールド・シナゴーグ」とも呼ばれていて、現在はユダヤ博物館として公開されています。

外観だけ。

 

 

シナゴーグは男女別に分かれていて、女性用のシナゴーグは屋根が低いそうです。
これはこじんまりとして屋根が低いので女性用と説明されたものだったかな ?

 

 

 

 

 

 

イザーク・シナゴーグ。

カジミエジュ地区の中心街、シェローカ通り広場やユゼファ通りに近いイザークシナゴーグでは、戦前のクラクフのユダヤ人の暮らしを、ビデオとパネル展にて紹介しているそうです。
外観だけだけど、見応えがあるそうです。

 

 

 

 

ノビ広場。

 

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(21) 2017/8 Poland・Krakow ポーランド・クラクフ 8/30 ( Tue ) ヴァヴェル城 ♪

 

Poland・Krakow  ポーランド・クラクフ、ヴァヴェル城。

ヴァヴェル城の丘にはこんな広場があって、

 

奥の方にはテラスチックなレストランがあります。

あ~、こんなところでランチしたかったなあ・・・。たしかに混みそうだけど・・・。

 

 

 

 

Poland・Krakow  ポーランド・クラクフ、ヴァヴェル城の中庭。

 

このヴァヴェル丘陵に最初に城が築かれたのは 14 世紀でしたが、現存する建物の大半は、時代が下り 16 世紀になってから、ジグムント 1 世が造営させた部分で、改築にあたり、王はイタリアをはじめとするヨーロッパ各地から一流の腕を持つ彫刻家、建築家、職人を呼び寄せ、当時最先端のルネサンス式王宮としました。

 

16:00~16:40まで見学。
城内は撮影禁止でした。

ゴージャスなインテリアというより、ジグムント1世と2世が聖書や神話などのテーマでブリュッセルの職人に織らせた、城内の壁面いっぱいに飾られたタペストリーが圧巻で、一見の価値があると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(20) 2017/8 Poland・Krakow ポーランド・クラクフ 8/30 ( Tue ) ヴァヴェル大聖堂 ♪

 

午後からガイドをしてくれたのはワルシャワ大学の日本語学科を卒業して日本に5年間留学し、村上春樹の『ノルウィの森』をポーランド語に翻訳したアンナさん。日本人より正確な日本語かも・笑。

日中は28℃あり、よく晴れたきもちのよい天気でした。
のどかな風景を眺めながら午後はクラクフの市内観光です。

 

 

 

 

車内からも見えるヴァヴェル城の城壁とヴァヴェル大聖堂の時計塔。

 

高台にそびえるヴァヴェル城の城壁を見ながら坂を登ります。

 

 

 

 

 

 

 

ようやく入り口。

 

ヴァヴェル大聖堂は、1020年に着工が開始され、その後、歴代国王の戴冠式がこの地で行われた。16世紀に設けられたジグムント塔には、ポーランド最大の鐘が吊されている(塔の上まで階段で登ることができ、その窓からクラクフの街が一望できる)地下にはポーランドの歴代国王や、タデウシュ・コシチュシュコユゼフ・ピウスツキなどの歴史的英雄が埋葬されているそうです。

 

ヴァヴェル大聖堂の時計塔の正面の下が、

 

ヴァヴェル大聖堂の入り口。

 

マンモスの骨。

 

 

 

3つの礼拝堂がある美しい大聖堂。
金色のドームがジクムント礼拝堂。

内部は撮影禁止のため写真はありませんが、アンナさんがヴァヴェル城の入場券を買いに行ってくれている間の30分ほど見学しました。

礼拝堂がとても美しかった記憶があります。

 

 

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(19) 2017/8 Poland・Krakow ポーランド・クラクフ 8/30 ( Tue ) アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウの近くでランチ ♪

 

Poland・Krakow ポーランド・クラクフ、アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウの見学が終わったのが13:30。

うさぎはヴァヴェル城の近くでランチをしたかったのですが、ポーランド人女性の日本語外ドアが、ヴァヴェル城のレストランは混むからと無口になるほど激しく抵抗、アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウの近くでランチをすることになりました。

ローカルの人が行くお店。

 

メニュー。

 

 

 

 

 

テラス席でしたが、お店のわんちゃんがそばに寄ってきてくつろいでいました・笑。

 

グラスワイン3人で飲んで(グラス1杯5ズロチくらい)、

 

3人分お料理を注文しても、

 

52ズロチでした。

観光料金ではない物価はやっぱり安いですね。

 

 

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