今回の旅行の一番の目的のアウシュヴィッツ強制収容所訪問。
アウシュヴィッツ第一、第二強制収容所を訪れるなら、映画『シンドラーのリスト』と精神科医ヴィクトール・フランクルヴィクトール・フランクルの著書『夜と霧』、唯一の日本人公式ガイド中谷剛さんの『アウシュビッツ博物館案内』は必見、必読だと思います。
現地旅行会社で日本語プライベートツアーを予約していましたが、運良く唯一の日本人ガイドの中谷剛さんに案内してもらえることになりました。
帰国してから偶然中谷さんが団体を案内している動画を見ましたが、グループ対象だと、知っていることを早口でずっと話されていたので、アウシュビッツを詳しく知るという意味ではグループでガイドしてもらうのも良いかもしれません。
11:00~12:30までがアウシュヴィッツ第一強制収容所、12:40~13:30までがアウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ見学でした。
クラクフ旧市街からポーランド・オシフィエンチム市郊外にあるアウシュヴィッツ強制収容所までは車で約1時間30分。
ヨーロッパの中心に位置する、交通の便が良い、郊外で広い土地が確保しやすい、郊外なので犯罪行為が露呈しにくいなどの理由で選ばれたオシフィエンチム市郊外、クラクフ市街からものんびりとした風景が広がります。

アウシュヴィッツ第一強制収容所到着。

いろいろな言語によるツアーが催行されているようです。

うまく写っていませんが。「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる働けば自由になる)」の一文が掲げられています。「B」の文字が逆さまに見えることについて、SSの欺瞞に対する被収容者の抵抗とする説もありますが、実際にはこの書体は当時の流行だったそうです。

門の横から、

建物の周囲には有刺鉄線が張り巡らされていて、触れると感電死ですが、絶望のあまり自ら飛び込む人もいたそうです。

脱走を試みた人たちは撃たれ、見せしめのために放置されることも。

よく晴れた日で、整然と並ぶレンガ造りの建物と木々を見ていると、ここが悲劇の繰り返された場所であることを忘れさせるような風景に思えました。

この方が中谷さん。
アウシュビッツ強制収容所について多くを語りませんが、ここでの過ちを通じて世界で起こっている現在の状況をそれぞれの立場で見つめ、同じ過ちを繰り返さないように考えて欲しい、と熱く語る信念の人でした。
アウシュビッツ強制収容所に連行された人々の内訳。

アウシュビッツ第二強制収容所(ビルケナウ)に連行された人々。

「ユダヤの星」をつけた人々。



1940-1945年にオランダから迫害され追放されたユダヤ人の連行の様子が動画で展示されていました。
アンネ・フランクもオランダからアウシュビッツ第二強制収容所(ビルケナウ)に連行されました。


被収容者は、オシフェンチムの貨車駅(1944年5月以降は第二強制収容所ビルケナウに作られた鉄道引込線終着点)で降ろされ、「労働者」「人体実験の検体」、そして「価値なし」などに分けられました。価値なしと判断された被収容者はガス室で殺害されました。

被収容者を選別するドイツ人軍医。

即刻の処分を免れた被収容者は、男女問わず頭髪をすべて刈り、消毒、写真撮影、管理番号を刺青されて登録されます。


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