(26) 2017/8 Poland・Krakow ポーランド・クラクフ 8/30 ( Tue ) クラクフで馬車に乗る ♪

 

Poland・Krakow ポーランド・クラクフで馬車に乗る。

 

cafe Szalを出て、昨日行ったHotel Wentzlのレストランに行き、「8時に来るから予約お願いね~」と言うと、感じの良い 若い女性のスタッフが笑って「OK~」と言ってくれました。

 

 

 

時刻は19:30分頃、うっすらと暗くなり、お月さまが見え始めました。

 

 

 

馬車の観光は約30分で50ユーロでした。

馬車に乗って振り返ると、聖マリア教会が見えます。

 

クラクフ中央広場を横切って、

 

旧市庁舎と織物会館が遠ざかります。

 

ぎんぎらぎんのパフォーマー。

 

御者さん。

 

遠くにヴァヴェル城が見えます。

 

後ろからも馬車がやってきます。

 

 

 

 

 

 

 

ヴァヴェル城。

 

走っているので若干ピントが合いませんが、

 

夜は城壁が幻想的です。

 

 

 

あちこちに路面電車の線路が走っています。

 

聖マリア教会前に到着。

 

真っ白でステキな馬車です。

 

 

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(25) 2017/8 Poland・Krakow ポーランド・クラクフ 8/30 ( Tue ) Cafe Szalでビール ♪

 

Poland・Krakow ポーランド・クラクフ 、Cafe Szalでビール。

 

駆け足だったけど、歴史の一端を垣間見られ、充実したクラクフでの1日でした。

 

時間はまだ18時少し過ぎ。
まだまだ明るいです。

広場を見渡すと、織物会館の2階にと~ってもステキなパラソルが並ぶテラスを発見。

 

ポーランド詩人のアダム・ミツキエヴィッチ像と織物会館。

 

もう、行くしかない ! 笑

 

Cafe Szal。

 

Cafe Szal、メニュー。

 

聖マリア教会が真ん前。

 

 

 

聖ヴォイチェフ教会、アダム・ミツキエヴィッチ像全部見渡せる絶好のロケーション。

 

聖ヴォイチェフ教会。

 

人がいっぱい。
とても楽しいムード。

 

観光用の馬車もたくさん並んでいます。
白い馬車がステキ。

 

 

 

黄色のパラソルは、

 

みんなお花屋さん。

 

誰に白いバラを贈るのでしょう 。
こんなにいっぱいお花屋さんがあっても花を贈られる人がいっぱいいるということですね、ステキ。

 

ゆっくり座って時間を過ごす人。

 

パフォーマンスに励む人。

みんな思い思いに楽しんでいるようです。

 

 

 

 

うさぎはレイジーにビールを飲む人・笑。

 

19時のラッパが始まります。

 

 

 

ありがとう !

 

 

 

19:10、まだまだ明るい。

馬車に乗りに行きましょう。

 

 

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(24) 2017/8 Poland・Krakow ポーランド・クラクフ 8/30 ( Tue ) クラクフさんぽ ♪

 

Poland・Krakow ポーランド・クラクフ。

 

 

再びヴィスワ川を渡って、旧市街に向かいます。

 

 

 

 

 

聖フロリアン門。

 

聖フロリアン門をくぐると、

 

民族衣装を着たかわいい娘さんとお父さんでしょうか。

石造りの中世の門にぴったり !

 

クラクフ旧市街の模型もあったりして気分が盛り上がります。

 

旧市街のメインストリートの正面には聖マリア教会。

 

1222年に建設されたゴシック様式の教会で、天を射貫くようにまっすぐ伸びる2本の尖塔が印象的です。

 

この教会では1時間ごとにラッパのメロディが流れます。吹いているのは、現在7人いる消防士のラッパ手で、勤務時間は朝7時から翌朝7時までの24時間で、その間は教会から出られません。

その昔モンゴル軍がクラクフを襲撃した際に、それにいち早く気づいたラッパ手が敵の襲来を告げるためこの塔からラッパを吹き鳴らしました。しかし、モンゴル兵が放った矢がラッパ手の喉を貫き、ラッパ手はメロディの途中で亡くなってしまったのです。それを悼んで、14世紀から現在にいたるまで1時間ごとに塔から「ヘイナウ・マリアツキ」と呼ばれるラッパが吹き鳴らされています。

まず鐘が鳴り、そのあとそれぞれ違う方向を向いた4つの窓の前で同じメロディを吹きます。

このメロディが、なんとも終わった感のない印象なのは、モンゴル人に矢を放たれたラッパ手を忘れないため途中で終わらせているのだそうです。

 

どの窓からラッパが出てくるかはわかりません。

 

ラッパだ !

 

消防士の制服を着たラッパ手が手を振ってくれます。

 

 

 

 

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(23) 2017/8 Poland・Krakow ポーランド・クラクフ 8/30 ( Tue ) 『シンドラーのリスト』のロケ地を訪ねて ゲットー地区 ♪

 

ヴィスワ川を渡ってゲットーのあったポドグージェ地区に行きます。

ポーランド総督に任命されたハンス・フランクは大の反ユダヤ主義者であり、自分のお膝元であるクラクフから出来る限りユダヤ人を追い出したがっていました。1940年4月12日にフランクは「ユダヤ人はこの町から放逐しなければならない」と宣言し、技能などがあり労働力になるユダヤ人以外はクラクフから追放されることになりました。

クラクフに残る許可を得たユダヤ人は、伝統的なユダヤ人居住区のカジミェシュ地区のヴィスワ川対岸にあったポドグージェ地区に作られたユダヤ人隔離地区に押し込まれて隔離され、ここには1941年3月に正式にクラクフ・ゲットーの名が冠されました。

ズゴダ広場は、ゲットーへの移住を命じられたユダヤ人をゲットーからアウシュビッツなどの強制収容所に運ぶための待合場所となり、収容所行きを拒否する人は容赦なく射殺されました。ズゴダ広場は戦後「ゲットーの英雄広場」 と名前を変え、クラクフ・ゲットーで亡くなった方の弔いの場となっています。

ゲットーの英雄広場。

 

2005年12月、このゲットーの英雄広場に、イスをモチーフにした新たな追悼モニュメントが開幕されました。ユダヤ人学校の生徒が、一人ひとつずつ教室のイスをもって移動しているシーンを映した当時の有名な記録フィルムにちなんでいるそうです。

イスのオブジェが並んでいます。

 

 

 

 

1941年3月20日にゲットーは封鎖され、以降自由な出入りはできなくなりました。ポドゥグージェ地区にははゲットーになる前まで3,000人が暮らしていましたが、ここに5倍もの15,000人のユダヤ人が押し込まれ、窮屈な暮らしを強いられました。

クラクフ・ゲットーはワルシャワ・ゲットーと並んで閉鎖的なゲットーで周囲は壁で囲まれて外界から完全に隔離されていました。

ゲットーの施設、壁などは、ユダヤ人自身に作業させて、作らせました。壁の形は、高く、かまぼこみたいな半円形の形をしています。
これは、ユダヤ人墓地の形に似せたもので、精神的負担を与える目的があったと言われています。

クラクフ・ポドグジェ地区のルヴォフスカ通りは、このゲットーの壁の一部が再現されています。

少しわかりにくいですが、木の下の壁です。

 

1941年から1943年までここにゲットーがあったことが示されています。

 

 

 

そのゲットーも1943年3月13、14日に解体され、ユダヤ人たちはアウシュビッツやビルケナウなどの強制収容所に送られることになります。

 

『シンドラーのリスト』のシーンに、シンドラーが複雑な表情を浮かべて、馬上で小高い丘の上からゲットー解体を見下ろすシーンがあります。

木の生えているところがその丘のロケ地だそうです。

 

同シーンに、赤い服を着た女の子が歩いているシーンがありますが、その女の子が歩いていた通りがここだったと教えてくれた記憶がありますが、時間が経ってしまったので記憶が定かではありません。

ゲットーの外だそうです。

 

 

シンドラーはここでユダヤ人を雇用し、従業員リスト(実際には働いていない人も含まれていた)、いわゆるシンドラーのリストを作って彼らが絶滅収容所に送られないようにしました。

工場は内部のリフォームを終え「クラクフ歴史博物館」の1つとして公開されました。

博物館では「ナチス占領下のクラクフ 1939~1945」という常設展示があり、狭いゲットーでのユダヤ人のつつましやかな暮らしの再現などを見ることができるそうです。
シンドラー関係だけでなく、占領下のクラクフの社会状況全般がわかる展示となっており、学生の団体も多く見学に訪れるので、狭い通路はかなり混雑しているそうです。

時間がなかったので外観だけだったのが残念です。

シンドラーの工場。

 

 

シンドラーに命を救われた人たち。

 

 

 

『一つの生命(いのち)を救う者が、世界を救える 』。

 

 

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(22) 2017/8 Poland・Krakow ポーランド・クラクフ 8/30 ( Tue ) 『シンドラーのリスト』のロケ地を訪ねて カジミェシュ地区 ♪

Poland・Krakow ポーランド・クラクフ。

『シンドラーのリスト』のロケ地を訪ねたくて、アンナさんにお願いしてタクシーでロケ地を回りました。

時間は16:50から約1時間、タクシー代は50ズロチでした。

 

 

まずはカジミェシュ地区の歴史から。

 

ポーランドでは13世記にユダヤ人の法的地位を保証するカリシュの法令が施行されていました。
中世ヨーロッパ中でユダヤ人迫害が吹き荒れていた頃、ユダヤ人たちは迫害をのがれてユダヤ人の基本的な諸権利が法律で保護されていたポーランド王国へ集まってきました。 1335年 にカジミェシュ3世は ヴィスワ川によって王国の首都クラクフから切り離されていた地域に新しい町を作り、この町カジミェシュ と名付け、次第にユダヤ人が増えていきました。
1494年にクラクフで大火があり街の大半が焼け落ちてしまいましたが、これをユダヤ人のせいにされ、焼け落ちて廃墟となっていたクラクフ旧市街の地区に住むユダヤ人はカジミェシュ地区のバヴウ区を提供へ移住させられました。この時からカジミェシュ、特にカジミェシュの南東地域は完全に「ユダヤ人の町」と化しました。

第二次世界大戦時にここで暮らすほとんどのユダヤ人が強制収容所に連行されてしまい、 その結果カジミエシュは廃墟と化しました。 近年、再び賑わいを取り戻しつつあるカジミエシュは、若者のオシャレスポットとなっていますが、多くのシナゴーグが残っているなど、クラクフのユダヤ文化に触れることができる貴重な場です。

 

たくさんの観光トゥクトゥクみたいな乗り物が走っており、外せない観光地域です。

 

 

 

 

スタラ・シナゴーグ。

ポーランドでは最古の部類に入るため「オールド・シナゴーグ」とも呼ばれていて、現在はユダヤ博物館として公開されています。

外観だけ。

 

 

シナゴーグは男女別に分かれていて、女性用のシナゴーグは屋根が低いそうです。
これはこじんまりとして屋根が低いので女性用と説明されたものだったかな ?

 

 

 

 

 

 

イザーク・シナゴーグ。

カジミエジュ地区の中心街、シェローカ通り広場やユゼファ通りに近いイザークシナゴーグでは、戦前のクラクフのユダヤ人の暮らしを、ビデオとパネル展にて紹介しているそうです。
外観だけだけど、見応えがあるそうです。

 

 

 

 

ノビ広場。

 

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