パリ、1802-03年
英国大使のホイットワース卿が1803年にパリで購入したもの。
時計の文字盤の下ではヴィーナスがキューピッドに文字の読み方を教えている場面がある。
時計の下部の帯状の彫刻には描かれるこどもは、幾何学、天文学、絵画、彫刻に真剣に取り組んでいる。
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特別裕福ではなさそうなのに、それでもパンは豊富で、スープもあり、
サーモンの切り身は大きく、タンパク質も十分に取れる食生活を送っていたことが見て取れ、オランダが豊かで栄えていたことがわかります。
『威嚇する白鳥』ヤン・アセリン 1650年頃。
翼を大きく広げ、威嚇するように首を曲げたこの白鳥は、泳いで巣に近づいてきた犬に警告の声を発している。右手が奇形であったことから「小さなカニ」と呼ばれたヤン・アセリンは、イタリアの風景画でよく知られている。一方で、彼は動物画も描いており、『威嚇する白鳥』は中でも有名な作品である。本作では、卵の1つに「オランダ」、犬に「我が国の敵」、白鳥に「法律顧問」という文字が記されている。これらは、1672年に発生したヨハン・デ・ウィットの虐殺をほのめかしている。アセリンは、デ・ウィットが法律顧問に任命される前年の1652年に死亡しているため、アセリン自身がこれらの文字を書いた可能性はない。
『ワイク・バイ・ドゥールステーデの風車』 ヤーコブ・ファン・ロイスダール 1668-1670年頃。
ライン川流域の町、ワイク・バイ・ドゥールステーデの風景の中で、大きな風車が存在感を放っている。
怪しい雲行きの空と暗い川の水がコントラストを織りなし、オランダ絵画の特徴として賞賛される雄大な風景を生み出している。
『陽気な家族』1668年。
放蕩家族、みたいなことをガイドさんは言っていましたが、そちらのほうが当てはまるようなハチャメチャ家族を描いた風俗画。
暖炉の上にぶら下がっている紙には、「大人が歌えば、こどもが笛吹く」、つまり、両親が悪い手本を示せば、こどももそれに倣うという本作品の教訓が示されている。
テーブルクロスはぐちゃぐちゃ、右端のこどもはテーブルに座り、床にはフライパンやお皿が転がって雑然としているが、酔っぱらった大人は気にもとめず、何も注意されないこどもたちはやりたい放題・笑。
水差しから注がれるワインを受け取る幼子、あげているのもこども。
将来が思いやられる・笑。
『聖ニコラウスの祝日』 1665-1668年。
12月5日は、オランダ全土の家族が聖ニコラウスの祝日を祝う。これは、何世紀もオランダで続く伝統行事である。こどもたちは歌い、暖炉の前に靴を置き、「シンタクロース(聖ニコラウス)」がプレゼントやお菓子を入れてくれるのを期待する。良い子にはプレゼントが、悪い子にはむち用の枝が与えられる。手前の少女はバケツいっぱいのお菓子をもらっている。隣りにいる少年は、兄が泣いているのを指差して笑っている。兄弟の後ろにいる女中が、靴に入れられた枝を指差している。奥の方では、老婆が動揺した少年を手招きし、天蓋付きのベッドに彼へのプレゼントがまだ隠されていることを示している。
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『使徒パウロに扮した自画像』 1661年。
レンブラントは自身の肖像画として東洋人、兵士、放蕩息子、古代の画家ゼウクシスに扮している。その他にも、豪華で贅を極めた様々な装いの肖像画描いた。この肖像画では、使徒パウロがその特徴である巻物と短剣(ベストから柄が出ているのが見える)を持つ姿を、自身に似せて描いている。使徒パウロはキリスト教の伝道者であった。ヘブライ語のような文字が書かれた羊皮紙は、彼が神を《精霊の剣》と例えた、エフェソの信徒への手紙であることをほのめかしていると思われる。頭に巻いたターバンの両側から、レンブラントの白くなった巻き毛が飛び出している。額には長い皺が刻まれ、親しげな視線にもかかわらず、つり上げられた眉毛が、訝しげな印象を与える。
『カプティン修道士の姿をしたティトゥス』 1660年。
レンブラントの息子ティトゥスを描いたものである。フランシスコ修道会の修道衣に身を包んだ男が、視線を落とし、深く考え込んでいる。アッシジの聖フランチェスコを描いた可能性もある。フランシスコ修道会の規則に従い、修道僧たちは貧しく慎ましやかな生活を送っていた。若い男の粗末な身なりや、遠くに視線を馳せるような表情から、このような規律正しい生活が見て取れる。これこそが、本作品の狙いである。男の背景は、ぼんやりとしか描かれていない。1668年、ティトゥスは、娘ティティアの誕生を待たずしてこの世を去った。
『織物商組合の幹部たち』 1661年。
毎年、アムステルダムの織物商組合では見本検査官として5名の男からなる委員会を任命し、織物の品質の検査をしていた。1662年の委員会がレンブラントに依頼したこの肖像画は、後に世界でも有名な集団肖像画の1つとなった。特に注目すべきは、男たちが鑑賞者の方に向き直っているように見える構図である。軽蔑から歓迎の笑みに至るまで、様々な表情が並んでいる。テーブルを囲むという構図により、部屋に誰かが入ってきて、会議が中断したかのような印象を与えることに成功している。レンブラントは、鑑賞者の視線がテーブルの側面と等しくなるように描くことで、空間的な効果を高めている。この集団肖像画は、スタールストラート(スタール通り)にある織物商組合の役員室に、先に飾られていた5つの肖像画と並んで飾られた。以前からあった肖像画では、いずれも幹部がどっしりと着席している。作品の構図が他の肖像画と合うように、レンブラントが何度もポーズを書き直したことが、X線写真により明らかになっている。
『ユダヤの花嫁』 1665-1669年頃。
豪華なドレスに身を包んだ若い男女が描けれている。男は愛情深く女を抱きしめ、女は夢見るように遠くを見ている。2人は見つめ合ってはいないが、互いに体を向かい合わせて立っているところから、愛情が感じられる。美術収集家のアドリアーン・ファン・デル・フープが1883年にこの絵を購入したとき、彼は本作品について「ユダヤ人の父親が結婚する娘の首に首飾りをかけているところである」と説明した。しかし、男の手は女の左胸に置かれており、女の指先が男の手を優しく撫でるように描かれていることから、この解釈には無理がある。それにもかかわらず、今日に至るまで、本作品は『ユダヤの花嫁』という名で知られている。それは、本作品について誰もが合意できる解釈がまだないためである。聖書のイサクとリベカに扮した夫婦の肖像画という説もある。
丸みが感じられ、まるで本物のパールのような立体感。
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フェルメール 『手紙を読む青衣の女』1663年 – 1664年。
髪の毛をひっつめにした少女が、両手に持った手紙を読んでいる。
視線を紙に固定し、まるで手紙を声に出して読んでいるかのように、唇がうっすら開かれている。手紙を読む女のモチーフは、オランダ黄金時代のよく描かれている。
デティールの一部から、手紙は恋文であることを示唆している。ここで描かれている少女の表情からは、このような単純な解釈が正しいかどうかは伺えないが、鑑賞者は、彼女の様子から、いくつかの手がかりを得ることができる。彼女は青いナイトコートを着たままである。女がむきあっているテーブルの上には小さな箱があり、蓋が開かれている。手紙の前のページと思われる紙の下には、隠された真珠も見える。手紙を受け取った時、彼女が寝室にいたことがわかる。
「恋文」はヨハネル・フェルメールが17世紀に描いた作品で、侍女がシターン(水滴型の共鳴体を持った撥弦楽器)を持った女性に手紙を渡しているシーンを表現している。
手前のたくし上げられたカーテンは、限りなくプライベートな場面を覗き込んでいる印象を見る者に与えている。これにはトロン・プイユ(今でいうトリックアート)の要素も含まれており、この時代のオランダ絵画ではよくカーテンで表現している。チェック柄の床の対角線は、奥行きと立体感を表現している。
受け取った手紙が恋文であることは、彼女が愛の象徴であるリュート(シターンの一種で、俗語で「性器とをいう意味でも使われていた」を持っていることから伺える。絵画の下側に脱ぎっぱなしになっているスリッパはセックスを象徴しており、愛の手紙を受けたったという印象を鑑賞者により与えている。部屋入り口に立てかけられた箒は家庭生活を象徴しているかのようで、絵画の隅にあることで、家庭への関心がどこかへ追いやられていることを暗示している。
青色と金色は、この絵を構成する上で重要な役割を担っている。金色は女性のドレス、暖炉の上部、その他インテリアに使用され、床や侍女のドレス、写真のフレームなどに使われている青色を引き立てている。暖炉にはイオニア式の模様が描かれており、この作品がクラシックの影響を受けていることが見て取れる。
壁に掛けてある2つの絵画も意味深い。下の絵画は嵐に荒れる海が描かれており、これは激しい愛の隠喩である。上の方は砂利道を散歩する旅人の風景画で、シターンの女性に手紙を書いた男性の不在を仄めかしている。
この作品は17世紀後半にポーランド・リトビア共和国の国王によって収蔵された。
アムステルダム大学美術史学 教授のフランツ グライゼンハウト氏により特定され、ここを訪れるツアーもあるそうです。
『デルフトの家の眺望』という名でも知られる本作品は、17世紀の絵画において異質な存在である。フェルメールは、特定の建物を描く代わりに、場所の特徴を描かず、無名な場所を取り上げている。また、大都会の慌ただしい情景を描いたわけでもない。本作品は、曇った日の静かな小路の印象をそのまま表現している。家の右側や、切妻屋根の上部が絵の枠からはみ出した構図を用いることにより、ありふれた風景という印象を強めている。一見しただけではこの小路で働く人々に気づかなきかもしれないが、よく見ると、一人の女は戸口に腰掛け、裏庭に続く通路には女中が一人おり、2人のこどもが遊んでいる。崩れそうなアーチや、建物正面にはっきり見受けれれる修復箇所のリアルなデティールが、この場面の印象をより強くしている。
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